【幼少期の私】
【幼少期の私】
私も今現在子育て中なので、自分が小さい時の記憶と照らし合わながら、子供の気持ちを考えてあげることはよくある。
私、小さい時、ほんっとぉに頑固で、嫌なものはゼッタイ嫌で、一度嫌と決めたら、嫌だった。
うちのお母さん、ほんとに大変だっただろうなぁって思う。
とにかく「頑固」。
私が周りで接する子供達って、自分の子供を含め、素直でかわいい子達ばっかりだなぁって思う。
私、なんか、今思うと、子供らしく「素直」なところなかったし、とにかく「頑固」だった。
小学一年かニ年の時、学校全体でやってた年賀状交換で、担任の先生から
「へそ曲がりはもうダメ」
って書いた、ねずみ年の年賀状を思い出す。
先生が書いてる文意の意味が全然分からなかった。
私は、自分が"普通"だと思ってたから。
"普通"
も何もわからなくて、
それが、「私」だったから。
でも、その小学一年二年とお世話になった担任の先生とは、まだ一年に一度のお手紙のやり取りは続いている。
そういえば、こんなこともあった、、、らしい。
母いわく。
保育園のお遊戯会で、みんなが浴衣?か何か可愛くおめかししてステージに上がる日、私だけ、浴衣が着たくないとダダをこねて、着なかったらしい。
お母さん、ほんっと恥ずかしかっただろうなぁ。
一人だけ普段着。
それかステージに上がらなかったのかな。
でも、記憶の中では、やっぱり一度も母に怒られたことがない。
トックリセーター(タートルネックセーター)も、タイツも嫌いで、絶対着なかった。
お母さんも寒い日は頑張って着せようと試みてた。
でも絶対私は着なかった。
私は、「頑固」に嫌なものは嫌だった。
そしていつも母は最終的に私のやりたいようにさせてくれた。
お陰で、斗真も私と同じように、タイツみたいなラクロスの寒い日に着るアンダーパンツを嫌がって、冬の寒い雨の中でもラクロスのゲームに、素足にユニフォームの半ズボンで行っていた。
トックリセーターみたいな、アンダートップのシャツも嫌がって着なかった。
それは代わりに長袖シャツを着てくれたけど。
春のシーズンはラクロスって、屋内のボックスラクロスなのだけど、9月から2月までのシーズンは、外でやるフィールドラクロスで、雨でも練習、試合は外のフィールドでやった。
よっぽど嵐だったり、雨が強くてフィールドが使えない時はキャンセルになったけど、それ以外は、晴れても雨でもフィールドラクロスはあった。
そんなお陰で、斗真はゲームの後、唇が紫色になって「お母さん、寒い」と涙を流したこともあった。で、私は「だからお母さん、言ったじゃん」と私まで涙出そうになった時があった。
私の意見もちゃんと伝えつつ、でも本人の意志も尊重したい。このバランスが難しい。
うちの子は、私みたいに体が頑丈っぽく、風邪も殆どひかないのでそれだけが救いだ。
私のお母さん、そんなみんなと違った「私」でも受け入れてくれてたな。
いつも最後は、私の味方だったな。
旦那に結婚したいって言われた時も、全然反対しなかったな。
凄く動揺してたけど。
大事な娘が遠い国に行くかも知れないのに、反対しなかったな。
なんであの時、反対しなかったんだろう、って時々思い出す時あるけど、長年育ててきた娘のことをよく理解してくれていたんだなぁ。
うちのお母さん、子育て頑張ったなぁ。
お母さんに怒られたことなかった。
矯正されたこともなかった。
自分の子供が、「いやいや」をする度に、私は母を思い出す。
"Unlock Yourself"
お母さん、ありがとう