sephton195のブログ

カナダで子育てしながら、日々感じたものを書き出しているブログです。心の内面の観察、実験、実行記録。

   【My mom is so cool!】

   【My mom is so cool!】

 

昨日、お義母さんの子供の頃の話を聞いていて、お義母さんのお母さんは、よく色々心配してくれて、だから自分もいろんなことが心配で、出来ないことがあった、と話していた。


私は、へぇ、そうかーって、話を聞いていた時に、思ったこと、感じたこと、思い出したことを書こうと思う。

 

"My mom is so cool!"


って思ったことがあって。



うちの母も、色々心配してくれたりしてたんだろうけど、あまり気にしていなかったように思うんだ。

 

お義母さんは、一人っ子で育って、すごく大事に心配されて育ったような感じに聞こえた。


おばあちゃん(お義母さんのお母さん)は、ほんっとに愛情いっぱいなおばあちゃんで、毎日寝る前に私にもハグしてくれて、ほっぺにキスしてくれたなぁ。懐かしい。

 

旦那のおばあちゃん、優しくて、かわいくて大好きだった。

あんなおばあちゃんになりたいな、って思ったなぁ。


そういえば、カナダに引っ越してきたばかりで、当時私24歳の時、まだカナダの永住権もなく、海外に出れず、仕事も出来ず、この家の一階に義理両親と旦那のおばあちゃんと私達の5人で住んでいた時があった。


仕事も出来ず、車も運転出来ず、ただひたすら、毎日暇つぶしに図書館通ったり、散歩したり、小さな英会話教室通ったり、ボランティアしたり、旦那は大学に戻って勉強をして忙しくしていたから、なんだか日本での生活からガラリと一変したもんだから、夜になると寂しくて、一人旦那が眠るベッドの隣で、涙したことも多かった。


そんな時、時間がたっぷりあるのでバンクーバーに一人で遊びに行こうとした日があって、でも危ないからって小さな子供でもないのに、お義母さんとおばあちゃんに止められた。

 

私は、もう子供じゃないのにー!って悲しくなったけど、それが彼女達の優しさで愛情なんだよね。

 

私は、三人兄弟の三番目だったから、あまり心配されないで?少しは心配されたんだろうけど、心配というより、あまり手をかけられずに「自由」に育ってしまった気がする。あと、良い感じに信頼されていたと思っている。

 

うちのお母さん、本当に優しいんだけど、私が色々心配しなさ過ぎて、危ないこともあったりすると、お母さんが他の人に注意されていたりした。

 

そんな時でもお母さん、私のことは怒らず、私はお母さんが他の人に注意されているのを見て、初めて、私は間違ったことをしたんだな、危ないことをしたんだな、周りを心配させることをしたんだな、って自分の行動を見直すのだった。

 

で、その後お母さんが私を注意してくれるか、「お母さんが、悪かったね」っていうかのどちらかかな。決して怒らない。

 

だから、いろんなこと、自分で失敗しながら、痛い思いしながら、怖い思いをしながら自分で加減しながら、いろんなことにチャレンジさせてもらっていたように感じる。

 

あと、私が小さい頃から、両親は共働きだったから、兄弟三人でご飯作ったり、包丁も小さい時から触っていたおかげで、指も何度も切ったし、今だに人差し指をえぐれて切ってしまったところは跡が残っているけど、指先が器用になったのは、両親が共働きだったお蔭だな、って思う。

 

小学1年の時の「鉛筆削り大会」?

私、一番上手にえんぴつをナイフで削れたので、クラスで一等賞だった。

 

お母さんの、子供に対する信頼?みたいな、あと絶対怒らないところ、注意はするけど、いいな、って思ったんだ。

 

だから

 

”My mom is so cool!”

 

って。

 

ちょっと、かっこいい、とも違う。素敵、とも違う。いけてる、とも違う。もしくはそれら全部!かな。笑

 

そぉいや、高い木の上にもよくのぼったなぁ。

 

昔住んでいた家の庭に大きな大きな杉の木があって、私はよくその木を登るのが好きだった。

 

いっちばん上まで登ると、すごぉぉぉく景色が良くて、なんだか頬と髪にあたる風がそよそよ気持ちよく、気分的にはトムソーヤにでもなったような気分だったかな。

すごぉぉく気持ちが良かったなぁ。

 

旦那のおばあちゃんは優しくて大好き!


うちのお母さんも優しくて大好き!


でも色々なこと、母は、私を信頼してくれて、危険なこともある程度本人任せでさせてくれたこと、有り難いな、って思う。


そうやって、「自由」にさせてもらえて、自分で色々学ぶことが出来て良かったな、って思う。


小学6年まで住んでいた家のお風呂は、薪で炊くお風呂で、小さい頃から、薪割りも広い台所でよくやってた。

 

今、思い出すと、すごく昭和な感じと、時代が全然違って感じて、すごく不思議な感じがする

 

うちの上の子、今12歳だけど、その頃には、私は薪割りのプロだったってことかー。面白い。


あれは危ない、これも危ない、ってさせないってことをしない、母の寛大さが好き。


母は、私なら出来る、って信頼してくれてたってことだな、って。

 

母が良い感じに、「自由」にしてくれたから、私は、「自由」に何でもやりたいこと、やらせてもらえたのかなぁって思う。

 

そんなことを思い出していると、やっぱり私は私のお母さんに育てられて良かったなぁって思うんだなぁ。

 

”BE YOU, the world will adjust"

お母さんの、心配しなさすぎる塩梅がちょうどいい加減だったなぁ。笑

 

写真。昨日旦那と子供達とお義母さんとで"リブフェスティバル"に行って美味しいお肉を食べてきた。ちょうどお店の前に薪があったね。こんな風に薪割りしてたなー懐かしいって思った。笑

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