【家族が一番】
【家族が一番】
今日2週間に一度仕事で行っているお宅にお邪魔した。
そこで素敵な言葉に出会う。
もうすぐ夏休みで、子供達を7月のサマースクールに入れるのに、今日仕事先の方に7月のスケジュールだけ、午前中から午後に変えてもらったことに、改めて感謝の気持ちを伝えると、とても素敵なことを言われた。
「家族が一番だからね。もちろんよ。気にしないで。」
”Family comes first"
そうだった。
そもそも私はこの仕事をしようと思ったのは、家族との時間はなるべく取れるようにしたいって思ったからだった。
私は一昨年から掃除の仕事をしている。
そもそも、掃除の仕事を始めた理由は、子供が学校に行っている間の時間を使って、自分たちでスケジュール調整できるところがいいなぁって思って。
そして、やっぱり日本の両親に何かあったときは、すぐ駆けつけてあげたいし、それまではやっぱりお金も貯めたいし、里帰りもしたい。両親には会いたいし、孫も連れて帰りたい。だから、お金は必要だし、でも時間も必要だし、いつでも帰りたいときに、託しやすい仕事って、今の私にはこれしか思いつかなかったから。。。
勝手に託しやすいと思っていて、きっと誰かがいるって思っている自分もどうかと思うけど。。。基本なんとかなる精神でいたりして。。。あはははは。
おー。もちろん、他にも、旅行に行きたい、買い物したい、遊びたいとか、趣味とかね、お金欲しいっすー。うんうん。あったらあっただけ良いねー♡
話は戻るけど
数年前に、母の継母(おばあちゃん)が亡くなり、その前の年だったかな、母の叔父、(私はおじいちゃんと呼んでいた)も亡くなり、私にとっては、大事な大事な家族が二人も他界してしまい、とても寂しい思いをした。母の父は、母が高校の時に亡くなっているので、その母の叔父が私にとっては、おじいちゃんなのだ。
私は、結局別々の時ではあったが、二人が亡くなったとき、カナダに居て、二人の葬儀にも行かず、母が母の実家だからあなたはいいよ、来なくて大丈夫、と、結局香典だけ贈ることにしたので、二人の最期は見届けていないし、葬儀にも参列していない。
おばあちゃん(母の継母)が亡くなった後、母と電話で話した時、母はたんたんと、おばあちゃんが亡くなった最期の日の病院での出来事を話してくれた。
おばあちゃんは、ずっと寝ているようで目は開けなかったけれど、ずっと私の母は手を握って話しかけていて、思い出話をずっと話してあげたって。おばあちゃんは全く動かず寝ているようだったけど、涙が流れていて、きっと聞こえているんだなぁってわかった、って。病院で朝が明け、母の実家の家族みんなが病院に揃って間もなく、祖母は息を引き取った、って。みんなのこと、ちゃんと待っててくれたんだね、って。
母の幼少期の頃の話ってあまりちゃんと聞いたことがなかったけれど、その時、ぽつりぽつりと母の継母(祖母)の話をしてくれて、母が5歳くらいの時にその新しいお母さんが家に来てくれた時、すごく嬉しくて、自分にお母さんが出来た、って嬉しくてお友達に自慢した、って言っていた。そこには、とても嬉しそうに語る母がいた。
5歳くらいまでお母さんがいない、ってどんな気持ちなんだろう、って、私はすごく悲しくなって、電話口で、うなずく声も出せなくなって、嗚咽が出そうになるのを必死でこらえながら、涙しながら聞いたのを思い出す。
でもお母さんは、たんたんと話していて、自分には兄弟はいなかったけど、その後、同じ家に住む従妹が生まれて、背中におんぶしてお友達と遊びに行ったりしたなぁって。高校から母は実家を出て、寮から高校に通っていたらしいけど、母の父は母が高校の時に亡くなったって、その時はすごく悲しい思いをした、って言っていた。
お母さん、色々悲しい思いいっぱいしてきたんだなぁって。
愚痴を言っているのも聞いたことがないし、私とショーンが結婚する時も、二人の好きなように生きなさい、って、本当は岩手にずっといてほしかったと思うのに、私たちを自由にしてくれたなぁって。
だから私は、お母さんとお父さんに何かあったときは、やっぱりすぐに駆けつけたい。
もう二人とも70歳過ぎたし、色々心配だし。
今日は、そんな素敵な言葉を聞いたので、改めて家族って大事だなぁって、珍しく学校が終わった後、裏庭で子供達とラクロスのキャッチボールをやってみた。
すぐ私は自分の好きなように日々を過ごしてしまうけど、家族のこと大事にしたいなぁって改めて思った一日だった。
”Unlock Yourself"
大事な家族がいるから仕事も頑張れるんだね
写真上。カナダと日本の「かえでの木」が二つ並んでて、あれ、って思って撮ってみた。
写真下。昨日表の庭で斗真とサッカーした時の写真。