【愛の反対は無関心】
【愛の反対は無関心】
時々開くすっごい分厚いノートがある。
私はそこに、自分の夢を書いたり、目にとまった素敵な言葉を書いたり、一日の反省を書いたり。。。
感情を言葉にして書いてみたり、自分に自信がない時に、自分で自分を褒めれることをひたすら書いてみたり。
感謝の気持ちをひたすら書いてみたり。
まぁ何でもノートで、人には見せれないノートなんだけど。
そのノートの最初のページにこんなことを書いていた。
愛の反対は無関心
無関心の反対は愛
無関心の反対は関心
私、子供の頃、そして今現在も、時々、両親は私のことなど無関心なんだろうなぁって悲しくなることがある。
「愛の反対は無関心」
お父さんなんて、国際電話しても、殆ど喋らず、すぐ母に電話を変わってしまう。
母は、私はこちらでの生活のこと、私の気持ち、自分から言わないとあまり聞いてこない。
基本、いつも仕事で忙しいから、話したいことがあっても、いつもお客さんが来た、って言って、言いたい事をすっきり話せるまで、話せることが殆どない。いつも消化不良。
旦那との結婚式の写真、実家の玄関にわざと飾っておいたら、知らない間に奥の部屋に片づけられていたり。
ビデオ通話もしない。
まぁ私も含めてだけど、機械オンチな二人なので面倒くさい気持ちはよく分かる。
うちの両親は、いつも私のことなど、気にせず、無関心なんだなぁって、たまたまこのフレーズを目にした時、凄く凄く悲しい気持ちになって、心がぎゅーーーーっと苦しくなったのを覚えている。
私は愛されてないのかな。。。。
悲しい気持ちが胸いっぱいになって、涙が出てくる。
悲しい気持ちを感じさせないように、感情に蓋をして感情となるべく向き合わないように今まで生きてきた。
数日前、またこの言葉を目にして、改めてまた自分と向き合う。
お父さんもお母さんも、ちゃんと私を愛してくれている。
なんで、私は、愛されてないって感じちゃうんだろう、って。
なんで、私は両親が私に対して無関心って思うんだろう、って。
すると、私は、無関心と、無干渉、これを履き違えていたことに、ようやく気付く。
うちは、両親があまり干渉せず、お互いのプライバシーを守ってくれている。
うるさく言われたことは一度もないし、私が成人して、誰と付き合おうが、何時に帰ろうが、どこで何をしようが、だいたいのことは話すが、うるさく言われたことは一度もない。
おかげで、社会人になり、夜どんなに遅く帰ろうが、朝帰りしようが、会社勤めをしながら、副業で水商売みたいなことをしようが、なんでも出来た。
そっか。私は自由だった。
ある意味、信頼されていたってことだ。
自分のことは、自分の責任、ってそういえば、小さい時から言われてた。
失敗したら、失敗から学ぶ。
何でもそういえば、好きにさせてもらってた。
間違ったことをしたら、自分の心が一番知ってる。
私の生きる力を信じてもらえてたんだ。
ようやくそこに気づけた。
そして母は母自身が干渉されるのが嫌だったんじゃないかな。
父も祖母にうるさく言われるのが嫌だったんじゃないかな。
嫌に感じること、私達子供達にもしない優しさだったんじゃないかな。
ん?てか。本人に聞けば良いだけのことじゃんね?ま。いいっか。あははははー。
そんな両親が、私を自由に育ててくれた。
基本になる、身体づくりだけは、しっかりやってくれた。
元栄養士の母が「お母さんの作ったご飯さえ食べていれば大丈夫」って野菜がいつもいーーーっぱい入ったお味噌汁、作ってくれてた。いつも色んな食材入ってた。
ある意味、両親があまり干渉してくれなかったお蔭で、今、この家に来て、義理両親が私の毎日の様子を聞いてくれる、それを、うるさいと全く思わず、気にかけてくれてありがたいって思える。
干渉せず、陰で信頼してくれていて、私が自分の経験から自分なりに学ぶことを両親は知っていたんだ。
お父さん、お母さんなりの、愛情表現。
両親に頼らなくても生きていけるように、自分の力で生きていけるように、見守る子育てをしてくれていたんだ。
母は産まれてすぐ母を亡くし、母の父も早くに亡くなっている。どんな環境でも、自分を信じて生きていけるように、母と父なりに見守ってくれていたんだ。
全ては私の幸せのために。
無関心ではなく、陰から見守る愛。
心からの信頼。
肝っ玉両親なんだなぁ。
私は自分をもっと信じて大丈夫なんだ。
大丈夫。大丈夫🍀
お母さん、お父さん、ありがとう☺️
”BE YOU, the world will adjust"
両親なりの愛情表現。気づいて良かった☺️🍀
写真。学校帰りの公園にて。子供の代わりにジャンプするのも、遊ぶのも、走るのも代わってあげれない。私は見守ることしか出来ないんだね。どうぞ自由に遊びなはれ😆